小椋佳 1 “昭和の歌姫”美空ひばりの歌唱に「それは下品」「止めてください」。言われた美空ひばり本人の反応は??、、報道2026年1月20日(火)13時08分記事より、、
正しいと 思うことには 正しいと
(↓この背景は、
以下に記載致しました↓)
シンガー・ソングライターの
小椋佳(82)が
2026年1月19日放送の
BS12トゥエルビ
「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん
~昭和の大先輩と
おかしな2人~」
(月曜後9・00)にゲスト出演。
歌手・美空ひばりさん
(1989年死去、享年52)との
思い出を語った。
同番組で、
憧れだった演歌歌手・
三橋美智也さんへ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A9%8B%E7%BE%8E%E6%99%BA%E4%B9%9F
書き下ろした曲を、
美空ひばりさんが
歌うことになった経緯を
話した小椋。
あらかじめ歌い込んだ上で
レコーディングに臨む
“昭和の歌姫”としての
美空さんの姿勢を伝えたが、
同時に
レコード会社での立場を回想。
「物凄い権力者になっちゃって、
皆さん、
美空ひばりさんに対して
物が言えない」と振り返った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A
さらに、小椋佳 氏は、
「ディレクターも言わない。
だから僕はそれは良くない、
(歌を)聞いて
“ここは違う”っていうのは
言うべきだと思って、
僕は言わせてもらった」と告白。
当の美空さんの反応は
「素直でした」と打ち明けた。
小椋は
「美空さんは
大舞台で目立つ歌い方が
クセになってる」と分析。
歌い出しでしゃくり上げる
美空さんに対し、
「それは下品だし、
舞台ではいいかもしれないけど、
このレコーディングでは
止めてください」と
指摘したという。
曲調を再現しながら
「音はココからココに
ポンと飛んでほしいところ
なんだから、
引きずらないでください」と
伝えたところ、
美空さんは
「あ、そうね」と快諾。
小椋は
「すぐに直しましたよ。
素直でしたよ」と語った。
そして美空さんが
亡くなる3年前に発売された
「愛燦燦」(あいさんさん)は、
小椋が作詞作曲を担当。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%87%A6%E7%87%A6_(%E7%BE%8E%E7%A9%BA%E3%81%B2%E3%81%B0%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%9B%B2)
当時「あたかも、
ひばりが自分の人生を
歌っているかのように
歌い込んで」
レコーディングに臨んだが、
美空さんは
一部のメロディーを
間違って覚えていた。
曲中の歌詞「人生って」で
覚え間違いをしていた
美空さんに、
小椋は
「“それ違いますよ”って
直させていただいた」とも。
https://recochoku.jp/song/S21561930/single
「あの人は歌に関しては、
大げさな言い方だけど、
“歌は命”でした」と表現した。
また「こういう話も
しましたね、
コロムビアさんで」と
切り出した小椋は、
「美空さんの歌に
文句を言うディレクターが
下ろされちゃった」と
ウワサ話を口にした。
「それぐらい凄い人だった」
という小椋に、
落語家の笑福亭鶴瓶は
「それはホンマかどうか
分からない」とフォロー。
「(人はウワサを)
大げさに言う、
そんなことをしはる人や
ないのに」と話すと、
小椋も、うなずいていた。
、、以上、小椋佳 “昭和の歌姫”美空ひばりの歌唱に「それは下品」「止めてください」本人の反応は??、、報道2026年1月20日(火)13時08分記事より、、抜粋、校正あり、、
再掲載
正しいと
思うことには
正しいと
小椋佳さんは、こんな方、、
エピソード、、
ウィキペディアより
一部抜粋校正掲載してみます↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A4%8B%E4%BD%B3
小椋 佳(おぐら けい、
1944年〈昭和19年〉1月18日 - )
は、日本の
シンガーソングライター、
作詞家、作曲家。
本名・神田 紘爾
(かんだ こうじ)。
台東区立黒門小学校、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E9%BB%92%E9%96%80%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
台東区立忍岡中学校、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E5%8C%BA%E7%AB%8B%E5%BF%8D%E5%B2%A1%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1
東京都立上野高等学校を経て、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AB%8B%E4%B8%8A%E9%87%8E%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
一浪で東京大学文科一類に
入学し、
3年次に法学部第1類
(私法コース)へ進学。
東大在学中は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%AD%A6
東京大学法律相談所で
旧司法試験の勉強を行う。
大学時代に
「生きた証に
何か創造的なことをしたい」
との思いから、
音楽活動を始めた。
また、同時期に
小説のようなものを書いたり
様々なことを行った。
1966(昭和41)年、
銀行への就職が決まる。
1967(昭和42)年、
東京大学法学部第1類
(私法コース)を卒業し、
日本勧業銀行
(現・みずほ銀行)に入行。
銀行マンとして銀座支店、
資生堂グループ専任担当、
兜町支店、赤坂支店、
本店証券部証券企画次長、
財務サービス部長などを
歴任する傍らで
音楽活動を行ってきた。
香港の現地法人社長打診を
拒否し、浜松支店長に就任。
またこの間、
ノースウェスタン大学留学や、
メリルリンチ証券派遣など、
米国滞在を経験している。
1971(昭和46)年に
歌手としてデビュー。
当初はフォークソング
あるいはニューミュージックに
分類されていたが、
次第にジャンルを広げていった。
前述のように
銀行員として
エリートコースを歩む一方、
デビューから20年以上もの間は
ほとんど表舞台に出ない
アーティストとして活躍する。
デビュー時エピソード
『初恋地獄篇』を聴いた
日本グラモフォン
(後のポリドールレコード)の
新人プロデューサー・
多賀英典は、
声のイメージから
15~6歳の美少年だと思って
会おうとしたところ、
『初恋地獄篇』の関係者から
「やめた方がいい。
なんと言っても
歌手という感じじゃないし…」と
断られたと回想している。
小椋は、多賀英典について
「初対面の僕を見て
がっかりされました。
僕は幼い頃から家族にも
『変な顔』って
言われていた上に、
当時既に妻子持ちの
銀行マンでしたから。」
「持ち歌を披露した時、
彼(多賀英典)から
『君の曲が欲しい。
でも君はいらないんだけど』
って言われました。」と
回想している。
小椋の歌を売りだすために、
歌手探しが始まった。
ところがこれという歌手が
出てこない。
約1年後に、
ある歌手が候補に浮かび、
小椋自身も
この歌手ならいいね!
と太鼓判を押した。
それが井上陽水
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E9%99%BD%E6%B0%B4
(当時はアンドレカンドレの名で
活動)だった。
ところが、曲がとてもよく、
小椋は私の歌を使うまでもない。
この人(井上陽水)の歌を使って
デビューさせればいいと言った。
「小椋佳を
歌手デビューさせるわけにも
いかないので、
小椋君の曲を歌える歌手を
探していたら、
彼が銀行の米国研修に
行くことになったので
しかたがなく
本人(小椋佳)でいくことにした」
という顛末を
多賀は語っている。
デビューLP
『青春 ~砂漠の少年~』が
制作費をカバーできる程度に
売れたため、
ポリドールは2枚目のLP
『雨』に着手することになる。
多賀は「結局(小椋佳は)
表に出せないから、
「東大卒の謎のシンガー」で
行くことにした。
小椋の情報は
テレビやマスコミ、外部には
すべてシャットダウンした。
ラジオで少しずつ流して、
人々の間に広まっていけば、
絶対いいものを
創ってるんだから
売れないはずがないと
思っていた。」と
振り返っている。
「少しは私に愛を下さい」は、
https://www.uta-net.com/song/2705/
1971(昭和46)年に
小椋のいた日本勧業銀行と
第一銀行が合併したことを
皮肉った歌
(歌中の「バラ」は
勧銀のマーク)。
後に人事部にバレて
怒られたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%91%E3%81%97%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%AB%E6%84%9B%E3%82%92%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%81%84
1972(昭和47)年、
1stアルバム
『青春 ~砂漠の少年~』と
2ndアルバム『雨』を再構成した
3rdアルバム『彷徨』が
リリースされる。
小椋自身は
「自分が知らないうちに
出されていた」
と証言している。
『彷徨』は232週間連続の
長期間にわたり
TOP100チャートに滞在し、
ビートルズの
『レット・イット・ビー』・
『アビイ・ロード』に次いで
オリコンLPロングセラー・
チャート第3位の記録を持つ
モンスターアルバムとなった。
日本の黒版LP総プレス枚数の
第1位は井上陽水「氷の世界」、
第2位は本作、小椋佳『彷徨』
である。
、、長くなりましたので、この続きは
小椋佳さんの題材をとりあげさせて
頂いたときに記載することにします、、
以上ウィキペディア一部抜粋校正
さらなる小椋佳さんの詳細は
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A4%8B%E4%BD%B3
ウィキペディア記述に譲ります
紅白歌合戦にも
出場したことのある、
小椋佳さんの経歴の一部を、以上、
ざっと、みていただきました、、
さて、最近多数各メディアで、
密かに頻繁に取り上げられ
注目度の上がっている
シンガソングライター
小椋佳さん、82歳。
これは
小椋佳さんの生き様に
多数の眼差しが
向けられて
共感を呼んでいるから
と云われているそうです、、
そこで、暫く
メディア報道を通した
小椋佳さんの言動、生き様を
題材に、
幸せとは一体何なのか?
自分の人生を生き抜くとは
どんなことなのかを
皆様と共に探ってみたいな~
と考えております、、
小椋佳さん報道を
題材にした、
第一回目の今号の
575川柳は、こちら、、
再掲載
正しいと
思うことには
正しいと
物怖じせず、正しいと
思われることを
端的に説明し発言する、、
意外と出来そうでいて
しづらいことのように
思われます、、
そうすることのし易い
周りの環境作りも、
背景として大切ですね、、、
良い意見が採用されれば
組織体としても
全体的に得になりますね、、、
、、、、、、、
Page1忍者江戸575、小椋佳 1 “昭和の歌姫”美空ひばりの歌唱に「それは下品」「止めてください」本人の反応は??、、報道2026年1月20日(火)13時08分記事より、、