死んだ後 つづく世界が あるのなら、、、?
(↓以下、この背景を
記載致します)
令和6年、2024年11月1日報道より、、
死後の世界
~人間は死んだ後、
一体どこへいってしまうのか?
そこは、今までの経験も
事実も、何をにも
失くなってしまうのか?
それとも存在するのか?
もしも、あるのならば
私たちは、死んだ後に
何処へいっちゃうのか??
、、人は死後、
私たちに“見えない”世界で
隣り合って存在している??
江戸の後期から
近現代へと連なる日本の宗教史 −後編−
國學院大學神道文化学部
教授 遠藤 潤さんに
お話して頂きます、、
人は死んだら黄泉国へ向かう。
『古事記』を基本にした
こうした考え方に、
国学者・平田篤胤
ひらたあつたね、は
洋学を含めた多種多様な知見を
編み合わせ、
そのなかで紡ぎあげた
独特のロジックを用いて、
否
を突きつけた。
人は死後、
別の世界へいくのではない。
私たちの“見えない”世界に、
いまも隣り合って
存在しているのだ、と。
遠藤潤・神道文化学部教授への
インタビュー後編は、
いよいよ篤胤、
そして家塾
「気吹舎(いぶきのや)」の
門下生たちの思考へと
分け入っていくことになる。
その独自の合理性を
考えることは、
現代人の私たちにとっても、
あまりに興味深いものだ。
遠藤教授が
ほぼ四半世紀にわたって、
彼らの理路を
追いかけつづけるほどに。
インタビューの前編では、
本居宣長
もとおりのりなが
から連なる世界観だけに
満足できず、
平田篤胤が独自の道を
歩んでいったことについて
触れました。
その流れを、もうすこし
詳細に振り返ってみたい
と思います。
神々の世界を追究するにしろ、
そのうえで死生観を語るにしろ、
宣長がとにかく重視したのは
『古事記』です。
その宣長による
『古事記伝』の成果に依拠して、
当時流入してきていた洋学、
特にヨーロッパ由来の天文学と、
古事記に記されている世界観を
照合していったのが、
服部中庸でした。
西洋では
太陽・地球・月……
といった天体が
科学的に観測されており、
ではそれは『古事記』においては
どの記述に当たるのだろう、
といったことを
つき合わせていったのが
中庸であり、
その著書『三大考』なのですね。
篤胤は、
宣長に多大な影響を受け、
さらには中庸の『三大考』にも
大変な刺激を受けていた。
しかし同時に
どこか釈然としないというか、
納得しかねる記述も
散見されたわけです。
そうした疑問点を
乗り越えるため、
キャリアの最初期に書いたのが
平田篤胤著『霊能真柱』
(たまのみはしら)
文化10年刊
(『新修平田篤胤全集』第7巻、
名著出版、1977年、所収)
なのでした。
洋学の知見のみならず、
日本書紀や祝詞といった多様な、
そして複数のテクストを参照し、
論理的な整合性を
追い求めていったわけですね。
『霊能真柱』は
篤胤の思考の出発点では
あるのですが、
やがて篤胤自身が
それに満足できなく
なっていくという流れが
ありまして、
より世界全体、歴史全体へと
議論を広げていきます。
そのプロセスを考えるうえでも、
インタビュー前編でも
話題にしていた死生観について、
より突っ込んだ観点で
見てみたいと思います。
宣長がその議論を依拠する
『古事記』によれば、
人は死んだら黄泉へ行き、
穢れた存在となります。
中庸はこの考えを、
西洋の天文学を
踏まえつつ再考し、
黄泉国というのは
宇宙における月にあたるもの
である、と論じます。
いずれにしても死者は、
地球の現実とは
別の世界に移動している
わけですね。
篤胤は、
こうした考え方を
乗り越えようとします。
死者は、私たちと隣り合う、
この世から見えない世界
=「幽世(かくりよ)」に
存在している、というのですね。
まるで私の幼少期の体験も含め、
日本で多くの人が
お盆に先祖の存在を
身近に感じるようなもので、
見えないけれども
常にそこにいるのだ、
というのが
篤胤のビジョンであるわけです。
篤胤は
複数のテクストを参考にした
という話を
インタビュー前編でしましたが、
そこで汲み上げていった
知見というのは、
『古事記』や『日本書紀』、
祝詞や洋学のみならず、
民間に息づいている死生観
などもあった。
こうして篤胤は、
よりスケールの大きな議論を
展開していくようになるのです。
こうした、
見える世界がすべてではない、
見えない世界も存在するのだ
という”見える/見えない”
をめぐる論点というものは、
さまざまな面白さを
含んでいると私は感じます。
ひとつは、
科学と宗教をめぐる関係です。
実は篤胤が
こうした論を立てていくのと
同じ時代、
つまりは近世から、
後の近代にかけて、
仏教でも護法論というものが
展開していました。
これは、天文学を含め
ヨーロッパの学問が
受容されていくなかで、
仏教の世界観を擁護する
というものです。
視実二元論といって、
西洋の天文学が示す世界像は
見える世界だけれど、
仏教が伝統的に
認めてきた世界像は
実体の世界だというわけです。
たとえば西方浄土といっても、
現に西洋人は
既に実際に
地球をグルッと
まわってきていて、
西方浄土の存在は
その途中のどこでも
視認されていないわけですが、
伝統的な世界観を
まもろうとするときに、
その真理は“見えない”のだ
というロジックが
喚起されていくのです。
篤胤が死後の世界を
俎上に載せる場合にも、
同じ「原理」で
こうした“見えなさ”を
あくまで科学的に、
ロジカルに規定しよう
としている点が
また興味深いわけですね。
“見える/見えない”を
めぐる論点を
現代まで敷衍(ふえん)して
いくと、
たとえば心霊写真という現象の
構造的な面白さも見えてきます。
霊魂というものがあると
心から信じているならば、
何も、霊魂は目に見えなくても
いいわけです。
しかし心霊写真というのは、
「ここに写っているのが証拠だ」
と──目に見えるから
存在するのだ、という議論を
わざわざ展開するわけですね。
見えるものは
科学的に存在するのだ、と。
欧米の思想史でも
指摘されているように、
近代に特徴的なあり方の
ひとつだと思います。
他方で、霊魂のような
日常経験を超えた存在
についての語り
=ナラティブを共有する人たち、
集団というものの存在にも
注目しています。
具体的には、
篤胤の家塾である
気吹舎をはじめ、
そのナラティブの
集団的な広がりに
関心を抱いています。
それは宗教的でありつつ、
きちんと理論的に
突き詰めようとする姿勢を
忘れない人々の集合体
だったといえるかもしれません。
こんなエピソードがあります。
篤胤の死後、
その養子であり
気吹舎の後継者となった
銕胤(かねたね)のもとへ、
仙人に会った紀州
(いまの和歌山)の
嶋田幸安という人間が
アクセスしてきます。
この時期は、
かつて篤胤が仙人に会った
という少年・寅吉から
聞き書きし、
後に平田篤胤著『仙境異聞』
安政4年(『新修平田篤胤全集』
第9巻、名著出版、
1976年、所収)と題される
書物の編纂時期にも
あたっており、
銕胤たちも
当初は嶋田の語りに
興味を抱いている。
ただ、嶋田は
気吹舎の運営に
干渉しようとしてきたり、
ちょうどペリー来航という時期
でもあって
嶋田は対外関係に関しても
予言めいたことも
発言したりするようになった。
すると気吹舎の側では、
門人たちの広いネットワークが
ありますから、
それなりに最新
かつ確からしい外交情報も
入ってきており、
嶋田のもたらす情報を
それらと照らし合わせることで
嶋田に疑いの目を向ける
ようになっていきます。
一方で、仙界に関する
正しい情報を示すもの、
いわば気吹舎の正典としての
『仙境異聞』の編纂が
門人への公開を目指して
進められていく。
篤胤流の、
論理だった学問のありようが、
ここでも貫かれているんですね。
現代の合理的な考えの人
からみれば
気吹舎の教学は
荒唐無稽に見えるかも
しれないですが、
しかし彼らとて
怪異すべてを
信じているわけでもなく、
調べも重ね、
きちんと自分たちなりの
合理性にしたがって
評価・判断をしていく人たち
であるのです。
私が近年興味を抱いている
テーマのひとつが、
篤胤がキャリアの後期に
傾注していた“暦”
という問題です。
なぜ暦だったのかといえば、
日本に神々の時代が
現実として存在していた
のならば、
その頃から
きちんとした暦もまた
存在していただろう、
という議論なのですね。
歴史を
イマジネーションに
頼るのではなく、
とにかくリアルに
突き詰めていこうとする
篤胤の姿勢が、
よく表れていると思います。
篤胤も気吹舎の人々も、
狂信的でも妄信的でもなく、
独特のロジックを持っている。
一方で、そのロジックが
本当に妥当であるかどうかは、
ナラティブを共有している
内部においてだけではなく、
外部からも考える必要が
ありますし、
内外を行き来する
宗教学という方法を
用いる意味もそこにあります。
私もまた、なかば疑いながら
その論理に乗っかり、
信じながらも疑いつつ、
彼らの論理を追いかけていきたい
と考えているところです。
遠藤 潤
研究分野
宗教学、日本宗教史
論文
日本社会における神と先祖 :
19世紀の国学を焦点として(2003/03/25)
平田篤胤『仙境異聞』の
編成過程 : 〈語り〉と
書物のあいだ(2019/07/)
遠藤教授が
神道の死生観の探究に至るまで
神道文化学部 教授 遠藤 潤
宗教学とカセットテープ。
その意外な共通点とは。
(みんなのアナログ)
國學院大學神道文化学部
教授 遠藤 潤
國學院大學 國學院大學メディア
人は死後、私たちに“見えない”世界で隣り合って存在している?
國學院大学
、、、2024年11月1日報道
校正あり、、
再掲載
死んだ後 つづく世界が あるのなら、、、?
人って、いつか死にます
でも、いつ自分が死ぬのかさえ
分からない、、
死んだ後、どうなるのか?
何もなくなっちゃうのか?
何か遺されるのか?
残るんなら、何処へいっちゃうのか
そんな簡単そうな質問にさえ
全く答えられません。
でも、そうであるからこそ、
考えるに、、
いま生きている瞬間瞬間を
私はいま生きているんだ、、
と、どこかで感じつつ、
大切に生きていきたいなあ
なんて、改めて
感じます、、
皆様は、人はいつか死ぬことや、
死後の世界観、、とか?
いま生きている意義とか、、
なんでもいいです、、
如何にお考えになりますか?
コメント欄に、ご自由に
どうぞ、、
当該配信ブログシステム
以外から
アクセスして下さる方々にも
忌憚なきご意見を伺いたく
思っております。
従って、
コメント欄は、出来る限り
フリーにして開けておりますので
ご自由にコメントお書きになって
くださいませ、、
Page1忍者江戸575、記事死後の世界
死後の世界~人間は死んだ後、どこへいくのか?何も失くなってしまうのか?あるなら何処へいっちゃうのか?等を研究されている学者の話~2024年11月報道より、、
1. 重複掲載、oichan-2様への、当記事~死後の世界~に対する、gooblog575からの、返信コメント、2025.10.13(月)、重複掲載致します
oichan-2さま、
いつも
以下ブログ
https://gooblog575.hatenadiary.com/
の コメント欄への
すてきなコメントを、
有難う御座います
>575さんへ
>こんにちは、
>少し、興味をそそられる
>内容でしたので、
>立ち寄らせて頂きます。
本当に
有難う御座います(^.^)(-.-)(__)
なお、以下併記致します↓
oichan-2さまのブログ群↓
真実を追求したい
(世の中の変化に対して、
どのように対応をしていくか、
自分自身の周辺の変化を
一定期間記録してみる。)
https://blog.goo.ne.jp/oichan
https://oichan-2.hatenablog.com/
>それでは、
>仮説と妄想の世界に
>突入します
>和多志は、
>そもそも。35年程前に、
>世の中の仕組みに
>疑問を持ってから、
>長年独自な見方で
>世の中を観察してきました。
それは、すっごい ことです、、
ずっと単なる
世間の一部品として、しかも
それとも疑うことさえ知らずに
どこか流されつつも
生かされつづけてきた
、、感じ、、、、です("⌒∇⌒")
>その過程に於いて、
>人間の存在とは
>どの様な物か、
>地球の存在とは
>どの様な物か、
>また、未確認の高度な頭脳
>を持った生命体の存在の事、
>人間の本質について
>考えなければ成らない
>との結論に至っています。
>これに関連して、
>宇宙とされている物の
>実体は、
>本当はどの様な物か、
>高次元とは何か等、
>すべてが関連している様に
>思っています。
それにしても
宇宙、、って、壮大です、、
宇宙というと、時の歪みの
話とも、親しみ易く、
次元の違いとも親和性の高い
話になりますね、、
そうすると、やはり、
そういう関心事に
繋がっていくのでしょうね、、、
>その過程で、
>人間の本質は、
>一般的に魂と言われる存在
>で有って、
>その実態は、
>エネルギー体とされる
>意識の塊の様な物
>では無いかと推定しています。
>エネルギー体とは、
>この3次元の世界では、
>ガス体のようなもので、
>形状は固定化されておらず、
>武術で言う”氣”の様なもの、
>オーラと呼ばれる、
>体の周りに
>分布されているとする
>発光体の様なもの、
>または、磁力線の様な、
>電磁波の様なもの
>と考えています。
>この意識体が
>魂と呼ばれる存在で、
>3次元の生物で有る人体に
>生存期間中に宿っているもの
>と考えています。
物質=肉体 に、
+
精神=魂=エネルギー体
=意識の塊=ガス体
が、オーラ(”氣”)
がかっている、、
= 三次元世界での
人間の姿、、
って、感じかなあ、、、?
>この、魂の存在の考えは、
>大昔からの言い伝えや、
>殆どの宗教の考えの
>大元に成っている
>人類誕生の過程で、
>創造主が、
>人類を創造した
>と考えられている事と
>関連します。
そもそも
想像主がいた、、とは、??
、、、、、
我々は、主体的だと
思い込んで何かしている
ことでさえも、、、
実は、、主体的に
行なっている訳
では、
ないのかも、、、。?
つまり
神みたいな存在により
単に、、我々は
(ある意味、
クルミ割り人形か何かみたいに
踊らされて、、)
やらされている、、
だけ?!!、、??
なんっていう、
疑惑も、、、
ふと思いました、、(゜_゜;)驚
>これは、人類を創造して、
>すぐ、この世に生をを受けた
>という事は、
>その時点で、
>人間で有った事を
>表していると考えました。
>これは、
>他の生物から、進化して
>出来たもの
>では無く、
>生存した直後から、
>知能を持った事を
>示していると考えました。
>ですから、
>大昔からの
>人間の創世記の話しは、
>人間の状態から
>スタートしています。
古今東西に存在する
数々の神話
(古典の話題たち)は、
全くもって、、
作り話では
なかった(゜_゜;)、、
って意味ですね、。
西洋にも、そして、
東洋の今回の話題、
古事記も、、
本物の話がすべて
書き起こされた、
うそ偽りなしの、、
すべて、真実、事実、史実
だった、、、って話?!?
にも、繋がり得ます、、よ、ね
たとえば、竹取物語
=かぐや姫の話も
本当にお月さまの
裏っ側に
月の都が
物質的、あるいは
無形だけど、精神的に
本当に存在している、、、?!
実はある、
存在する、、?、、(゜_゜;)
なんて話にも
なり得ます、、ね、、、?!
ただ、低次元=三次元
の住人たち には
月の都、本当はあるのに
全然盲目、、ゆえ
全く見えていない
だけなの
かも、、??、、(゜_゜;)驚
>これは、
>現代科学で、判断しても、
>DNA情報が有れば、
>人として育て上げる事は、
>可能で有る
>と考えられてきている事と
>一致します。
科学一本でも、
こういう、物質的な域のものは
到達出来ちゃうわけですね、、
でも、ふと、考えてみるに
なかなか 恐い話((( ;゚Д゚)))
>ただ、
>倫理上の問題が有るので、
>人為的に、
>ブレーキが掛けられている、
>もしくは、
>利権が絡んでいる問題で、
>情報公開されていないもの
>と判断しています。
少なくとも、
最初の方の、倫理上の問題
の段階で
抵触しやす そうですね?、、
>公開されていない、
>過去の情報でも、
>すでに
>200年程前の記録には、
>人的に、
>人型生命体を作成していた
>のでは無いかと
>判断される情報が
>確認されています。
え~~(゜_゜;)、(-_-;)汗汗
そ~んな昔に、、既に、、
ですか~??
それは、(゜_゜;)驚き
ですね~(゜_゜;)
>これは、
>最近明らかに
>成ってきている、
>”DS”に依る、
>情報の独占と隠蔽で、
>他の科学技術も
>無数に隠蔽されていたことが
>確認されています。
ここに、当ブログでいえば
前回とりあげてみた、
ノーベル賞選考の話題も
無関係ではない、、
、という訳なんですね、、
>ここで、
>3次元世界に於いて、
>生命体を作ることは出来ても
>人間の本質
>と考えられている
>”魂”の意識体を
>作ることが出来ないので、
>その魂を、
>その肉体に注入する必要が
>出てきます。
生命体=物質 ←人間科学
発達により解明しうる
+
魂=精神 ←人間科学
だけでは解明不可能領域
↑別に、肉体に注入必要部分
=人間
って、具合の、模式図な
訳ですね、、
人間たるべき、、とは、
難解な訳ですね、、
>この魂には、
>個人個人の人格や個性、
>過去の記憶などが保存され、
>3次元の人体に
>入り込んで
>目に見える人間
>とされているもの
>と考えています。
現世、、過去生の経験が
注入されていないから、
人間は最初、純粋無垢な
赤ん坊として
生まれてくる、、
訳なんですね~、、
なるほど、、、
>3次元では、
>過去の記憶は、一旦、
>呼び出されない仕組みに
>成っていて、
>一人の人間として
>0歳から人生経験を行う
>との考えです。
この世は
偽の世界と、
日本の古典文学には
頻繁に出てきますよ、ね、、
いわゆる昔のひとが
体感的に感じていた普通なこと、
現代人の多くは
完全に、忘れ去っている
のかも、、
な~んて、思うことが
あります、、
、、古典の意義の
ひとつ、なのかなあ??
ふと関係なさげなことだけど
彷彿と、させられます、、
>3次元で生を終えると、
>魂の存在が、
>5次元の世界と言われる世界に
>帰り、
>過去の記憶と新しい記憶が
>合体します 。
>その時点で、
>魂の存在として
>十分に人生経験の学習が
>終われば。
>人生経験の課程を
>終了する事と成り、
>経験が不足している場合は、
>再度、人体に宿り、
>人生経験を学習する事に成る
>党考え方が、
>個人的には納得できる
>ストーリーかな
>と考えています。
>学習を全て終えると、
>その、意識体の状態が
>最終の存在形態では無いか
>と考えていて、
>過去の人生経験と
>合体した状態が
>最終形態と考えています。
うわあ、(゜_゜;)驚
と
声を上げたくなるような
スケールの大きな
お話です、、ね
これを、学校に例えれば
進級や卒業を
自動的にくれるのではなくて、、
既定点に達しなければ
平気で、バッサリ
落第も、ありえるから
注意、、みたいな感じですね、、
落第したくないな~(笑)
それだけ、
生きている 今、
経験、体験することが
ものすごく肝心、、
とも、いうことも
出来ます、、よ ね~??
>その時点で、
>先に3次元での学習を
>終えていて
>過去に存在されていた人との
>接触も出来る様に成って、
>全ての人の意識体が繋がって、
>一体的な意識体、
>もしくは、
>エネルギー体と成るのでは
>無いかと考えています。
>それは、宇宙そのもの存在
>で有って永遠に続いて行くもの
>と思っています。
壮大なお話ですね。
人間、その核にあたる、
個々人の意識(我々の意識)は、
宇宙そのもので、
まさにコア、、、。
もしも、それら、
今まで経験したすべての、
もの、こと、達が
たとえば
アカシックコードとして
宇宙のブラックマターみたいな
格納場所に
まるで場面々々の
無数の記録、、、として
保持されているのだと
仮定したら のなら、、??、、
それはもう、、、
とてつもなく
宗玄で、格調高いし、
壮大なスケールを持つものだ
落第したくないな~(笑)
それだけ、
生きている 今、
経験、体験することが
ものすごく肝心、、
とも、いうことも
出来ます、、よ ね~??
>その時点で、
>先に3次元での学習を
>終えていて
>過去に存在されていた人との
>接触も出来る様に成って、
>全ての人の意識体が繋がって、
>一体的な意識体、
>もしくは、
>エネルギー体と成るのでは
>無いかと考えています。
>それは、宇宙そのもの存在
>で有って永遠に続いて行くもの
>と思っています。
壮大なお話ですね。
人間、その核にあたる、
個々人の意識(我々の意識)は、
宇宙そのもので、
まさにコア、、、。
もしも、それら、
今まで経験したすべての、
もの、こと、達が
たとえば
ということになりますね、、
、、だんだんと、私、、
気が遠くなるような
神秘の感覚に
陥ってきた気がします、、
>以上で終わります。
素晴らしいコメントに
たいへん感謝しております
高度な内容のお話には
気付きがいっぱい
含まれておりました、、
有難う御座います
https://gooblog575.hatenadiary.com/
https://gooblog575.blog.fc2.com
https://gooblog575.hatenablog.com
https://575.edoblog.net/
またどうぞ宜しく
お願い致します( `・ω・´)ノ ヨロシクーgooblog575